伊丹十三監督・映画『タンポポ』は飯テロもののラーメンウェスタン

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映画『タンポポ』の紹介です。「マルサの女」「ミンボーの女」で有名な奇才・伊丹十三監督の「お葬式」に続く初期の監督作品でコメディー色の強い異色作です。

 

 

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あらすじ

ゴローとガンは2人組のタンクローリー運搬業者。ある大雨の夜、暇つぶしに助手席のガンが読み聞かせた本は「ラーメンの食べ方の作法」という生々しいラーメン食いの描写の連続のものだった。

腹が減った運転役のゴローは思わず道沿いの小さなラーメン店で道草を食うことに。店に入れば、そこには人相の悪いゴロツキ集団が店を占拠していて険悪な雰囲気が漂う。

女店主の腕さばきに疑問を感じながらもゴローとガンはラーメンを頼む。
食べながらもそのゴロツキの・ピスケンは嫌がらせを止めない。業を煮やしたゴローは
ついにピスケンの鼻先になるとを投げつけ、ガンに運送の続きを頼み、店から逃がし走らせ、1対5の乱闘を店の外で行った。

 

腕っぷしの強いゴローも人数には敵わず、気絶させられた。
一晩そのラーメン屋のカウンターで寝て起きたゴローは合流したガンと共に女店主・タンポポの作る朝飯に舌鼓を打った。美味い飯を食ったゴローに、たんぽぽの息子ターボーは「母ちゃんの作ったラーメンも最高だろ?」と尋ねるが、正直なゴローはそれにははっきりと返事ができない。

 

学校に行ったあと、タンポポは厳かに「やっぱりダメですか、うちのラーメン・・・」とため息をつく。やがてタンクローリーを出して去ろうとするゴローを慌てて走って追いかけてきたタンポポは「私をお二人の弟子にしてください」と懇願する。そしてゴローの個人レッスンは始まる。

やがてゴローの幅広い人脈から、ラーメンを求道する名人達人たちが集結し始める。
資産家の愛人の運転手ショーヘイは、元料理人。麺のグレードアップを担当。
ホームレス集団の長、元産婦人科の医師だったセンセイは食道楽を極めた達人。主にスープを監修する。
そして最初にひと悶着あったピスケンとは拳を交えて理解しあい店の内装を担当。

ガンはタンポポのファッションの一段アップのメーキャップと服飾を。
最強の指導陣を得たたんぽぽは日々最大限の努力を惜しまず、5人が一斉にどんぶりを全て飲み尽くす「完成」目指して頑張っていくが・・・

 

キャスト

監督脚本・伊丹十三
ゴロー・山崎努
タンポポ・宮本信子
ガン・渡辺謙
ピスケン・安岡力也
センセイ・加藤嘉
オムライスを作るホームレス・高見映
ショーヘイ・桜金造
高級フレンチのボーイ・橋爪功
マナー教室の先生・岡田茉莉子
蕎麦屋で逢った資産家・大滝秀治
白服の男・役所広司
歯の痛い男・藤田敏八
スーパーのマネージャー・津川雅彦
スリの老紳士・中村伸郎
走る男・井川比佐志
ラーメンの本に出てくる先生・大友柳太朗

 

映画の感想・見どころ

「ラーメンウェスタン」との異名を取ったこの映画は国内での興行はまずまずだったが、海外においての評価がずば抜けて高い。
邦画の海外での興行成績では、「SHALL WE DANCE?」に次いでの、第2位である。

 

この映画は本筋では売れないラーメン屋の未亡人が、やがて街一番のオシャレなラーメン屋に成り上がるサクセスストーリーであるのだが、横軸的なエピソードがいくつにも絡んでいる(数得て13の挿話があるといえる)。

そのどのエピソードもがそれぞれに独立した「お話」ではありつつも、全て「食」にまつわる話という共通項で、非常に際どいバランスを保ちながら、畳みかけるように物語が進行するところに真骨頂があるといえる。

 

本筋だけを追いかけると、指南役5人が勢ぞろいになるまでの、ゴローの人脈や偶然出会う不思議な縁など、タンポポの情熱に呼び込まれるように「達人」が集まるテンポの良さがある。

蕎麦屋で偶然隣り合った、資産家の老人が、禁じられたメニューの「おしるこ」を食べ、お約束のごとく餅をのどに詰まらせる。そしてタンポポの一瞬の機転で掃除機で餅を吸い出すなど、それ自体がドラマのような出会いから、お礼にショーヘイを使ってやってくれという話に繋がる。見事なまでのストーリーの流れである。

次にホームレスの総まとめ役であるセンセイとの饗宴。
ターボーへの特注の「オムライス」作りに一役買うノッポの華麗なまでの無人厨房乗っ取りのコミカルさ。
後にこれが語り草になるが、オムレツを背割れして乗せるオムライスは一世を風靡し、オムライスのスタンダードにもなったと言われている逸話のひとつだ。
そしてセンセイを送り出すホームレス集団のアカペラ大合唱「仰げば尊し」の壮大なシーンも見どころの筆頭クラスである。

物語では、実は最初は「いじめられっ子」でしかないターボーも、母親タンポポがラーメン職人として5人の師匠に「勢ぞろいでどんぶりを一気に飲み干させる」という最終審査までのプロセスで、いじめ3人衆を呼び捨ての手下にまで手なずけ、独り立ちする姿をオーバーラップさせている。決して表では何も語らない何も表現しない、ゴローとの秘めたる「愛」が、タンポポもターボーをも変えてしまったと見て取れる。

「数えたら13ものエピソード」も、どれも外せる挿話はひとつとしてない。

白服の男の、映画館を「向こう」から見ているという意表をついたオープニングでは、話中に自分が、ヤクザとして撃たれて死ぬことをすでにセリフで伏線にしている。冒頭を飾る「ラーメンの食べ方」の本の中に登場する、ラーメン食べ名人演じる、大御所大友柳太朗のすっとぼけた飄々とした演技は今では貴重な1シーンになっている。

 

最も強烈に、私を射貫いたエピソードは、フレンチレストランでの接待篇である。

お偉いさん相手に有名なフレンチへの接待をしたがいいが、仕切っている部長自身も、「舌平目ムニエルと、ビールはハイネケン」程度にしかの知識しかない。

 

ほとんど相手にもしてない対応のボーイ(橋爪功)のクールな対応に、今回鞄持ちの下っ端で辛うじて同席している新米社員が、メニューの隅々までフランス語を読み、メニューを組み立て、果てはヴィンテージもののワインまで注文しソムリエを呼ぶという展開に一同「真っ赤に」赤面、というシーンが忘れられない。世がまだバブルにあった頃の余韻を思わせる印象的な逸話である。

東北大の教授と身分を偽って、金貸しから逆にスリのコソ泥をする一見老紳士の話も秀逸。中華飯店での高級品「北京ダック」を、手錠をかけられながらもあと一切れ、とねだる憐みを名手・中村伸郎が好演している。

ラストシーン、新装「タンポポ」から、5人一人ひとりが立ち去っていくシーンは胸にグッとくる。センセイは自転車をこいで、ショーヘイは元の運転手に、ガンが先に出て、ゴローは最後に眼差しでタンポポに別れを告げている。
タンクローリーに先に乗り込んだガンはゴローを手招きすると、ノブにかけた手に手がかかる。ピスケンだった。「やったな、俺たち」とピスケン。「ああ。・・・やった。」とゴロー。

大通りをゆっくりと静かに走り始めたローリーを、帽子を飛ばしながらも走って追いかけるピスケン。
男たちはそれぞれの持ち場に戻りながらも、これからも永遠に、胸の中に「タンポポ」を仕舞い続け、タンポポは守られながらも男たちを待っているのかもしれない。

 

備考

制作の逸話話として有名なのは、前半のゴローがピスケンに喧嘩を売るために、「小鼻になるとを投げつける」シーンのことである。

話中ではどうってことはないコミカルな一場面に過ぎないのであるが、名将伊丹監督は、ここのディテールにこだわったという。実にいくつものテイクがとられ、OKがでるまで数時間もかかったシーンだという。

監督業では妥協を許さない伊丹監督ならではのエピソードだ。
そして、劇中、重要な役割を担うセンセイ役の加藤嘉だが、撮影当時、体調にも優れず、「食べるシーン」では制限も多かったらしく、他の俳優陣と肩を並べて「どんぶりを飲み干す」シーンでは、実はよくよく見ると、麺は一回もすすっていない。

おそらくこれは意識しなければ気付かない、そういう演出になっている。他の実力者の力量によるところも大きいが、演出とカメラワークで、まるでそうとは気づかせないあたりは名人芸と言っていいと思われる。

本作へのオマージュ作品として、海外で「ラーメンガール」という映画が製作されたが、これは明らかに外国人が日本を「曲解」した脚本となっており、主役に抜擢されている西田敏行の魅力は半減される結果になっている。

ただし、タンポポでの主役山崎努が大御所としてフィーチャーされているあたりはファンにとってはありがたい話である。

また、この「タンポポ」の英訳では様々な物議が醸されていて、微妙な会話の「機微」が、どうしても1単語で訳しきれないという翻訳の専門家での議論対象にもなっているという。
それほど、この作品は、日本特有の文化を象徴する内容に肉薄していて、簡単に海外文化との比較でモノが言えないゆえに、海外にウケるという構造なのだと思います。

 

まとめ

ラーメンの先生役の大友柳太郎は自分の出番が撮り終えたのを監督に確認した後に自殺しています。80年代に入った頃から痴呆症に悩まされ台詞が覚えられないと悲観していたそうです。責任感が強く自分に対して厳しい人物だったそうで死ぬ前には周りに迷惑がかかるとまで言っていたそうです。

遺作になってしまいましたがこの作品を見ると先生の食べ方をいつも真似したくなります。

それでは以上、『伊丹十三監督・映画『タンポポ』は飯テロもののラーメンウェスタン』でした。

 

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